きつさねの つほねはかわり
みやつかゑ そのなかひとり
すなおなる せおりつひめの
みやびには きみもきさはし
ふみおりて あまさがるひに
むかつひめ ついにいれます
うちみやに かなやまひこが
うりふひめ ながこおすけに
そなゑしむ みなはたおりて
みさほたつ これおこよみの
うりふつき おとつきよみは
ひにつきて たみのまつりお
たすけしむ いよのふたなの
をさまらで つきよみやれは
いふきあけ とのみやにたす
ちたるくに ますひとこくみ
おこたれは たまきねつげて
ひたかみは やそきねにたす
たかきねお きみのたすけと
たまきねは ゆきてさほこの
くにおらす みやつのみやぞ
つきすみは しまつひこより
ななよすむ いまかなさきの
ゑたかばね むなかたあつみ
たすけしむ みよもゆたかに
をさまりて やよろとしへて
ツボネ制度は東西南北のツボネを輪番制として、宮仕えを定期的に交代させるものでした。一渡りしたところでワカヒトの心を捉えたのは、最も素直で教養溢れ、優雅の物腰である南のスケ、セオリツ姫ホノコでした。
ワカヒトは自ら高殿の階段を踏み降りてセオリツ姫の手を取り、大内宮へ招き入れました。セオリツ姫は正后として迎えられ、天下がる日に向かう月に準えて「ムカツヒメ(向つ姫)」と呼ばれる様になったのです。
空位となった南のスケには、新たにカナヤマヒコの娘であるウリフ姫ナカコが選ばれ、再び十二人となった妃は一斉に部屋に篭り機織りに励み正后になる夢を断ちました。
これを暦みに当てはめて、一年を三百六十五日とした場合に生じる月の満ち欠けとのズレを埋めるために設けた端数月をウリフ月と呼ぶ様になりました。
この時期、国内には二つの問題がありました。一つはイサナギ・イサナミがイヨ邦とアワ邦に分割して統治させたソアサ州(フタナ)で、この両邦の間で紛争が起きていて次第に拡大の傾向を見せていました。
ワカヒトはツキヨミの称号与えられた弟、モチキネをソアサに遣わしました。ツキヨミは見事な手際でフタナの問題を解決し治安を安定させました。
その後もツキヨミはフタナに留まり「トノミヤ(外の宮)」で行政の安定化に努めました。
第二の問題はチタル邦(山陰地方西部)のマスヒトであるコクミの悪政が中央まで聞こえて来る事態の発生でした。この問題にはトヨケ大神が目付として行政指導に当たることになりました。
トヨケ大神は長子のヤソキネに位を継がせ第六代タカミムスビとして日高見の行政を任せ、ヤソキネの次男タカキネを日高見から呼び寄せてワカヒトの補佐役に抜擢しました。
これまで第五代タカミムスビとして国政議会を預かってきたトヨケ大神ですが位替わりを済ませると自らサホコ邦へ行きミヤヅの宮(京都府大江町皇大神社外宮付近)を拠点に行政を監督されました。
こうして二つの問題に対策を講じるとワカヒトの治世に不安はなくなり、最遠地方のツキスミ(九州南部)もカナサキが同族のムナカタとアツミと共に統治して安定を保ちました。
ワカヒトの世は豊かに治まって八万鈴穂が経過しました。
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