御機の六 日の神十二妃のアヤ③

ふそふすす ゐをゐゑはつに
みやつより はやきじとべは
あまひかみ いそぎまなゐに
みゆきなる ときにたまきね
あひかたり むかしみちのく
つくさねは ここにまつとて
さつけまし もろかんたちも
しかときけ きみはいくよの
みをやなり これとこたちの
こちのりと ほらおとさして
かくれます そのうえにたつ
あさひかみ きんねんごろに
まつりして のちかえまさん
みてくるま ととむるたみお
あわれみて みつからまつり
きこしめす おもむきつける
きぎすにて むかつひめより
ことのりし たかみにまつる
とよけかみ もちこのすけと
はやこうち あちことみたり
はやゆきて まなゐのはらの
みやつかゑ ことのりあれは
かとてして みやつのみやに
あるときに きみのみかりに
ちたるくに みちおさためて
をさむのち やそきねのおと
さんさひお ますひととなし
またおとご つはものぬしと
こくみそえ つほねととめて
かゑらんと こそよりむかふ
そさのをと あまのみちねと
かどでなす ねなとやよいの
もちよりそ うつきのもちに
かえります


時に二十二鈴五百五枝初、宮津から急使が飛んでワカヒトはマナヰに行幸されました。

自ら死期を覚ったトヨケ大神からの知らせがあったのです。


駆けつけたワカヒトの手を取ってトヨケ大神は言いました。

「君が昔、日高見に遊学された際、修め残された教ゑがあります。その教ゑを極めなければ、道の奥を尽くしたとは言えないのです。それは年齢と経験を積まなければ修得が困難なもので今日までその教ゑを伝授する機会をお待ちしておりました。」


道の最奥の教ゑの伝授が終わると、トヨケ大神は重臣達を枕辺に呼んで宣言しました。

「諸神たちもしっかりと聞きなさい。いま、ワカヒト君は天祖クニトコタチが理想とした国家統治原理を初めて国政の場に実現されました。この原理が及ぶ限り、生きとし活けるもの皆、生命の尊厳と意義を知り、生きる喜びを分かち合う事ができます。これにより後の世の人々から、ワカヒト君は民族の始祖として祟敬されることになるでしょう。

代々の統治者もこの原理を受け継いで、クニトコタチの御意志を実践していくことになるのです。そのことをよく理解して、君に仕えなさい。」


この言葉を遺言としてトヨケ大神は自ら入った洞を閉ざし、お隠れになりました。その洞の上に建てられた社が『アサヒ宮』です。


ワカヒトはねんごろにトヨケ大神を祀った後、安国宮(ハラミの宮)への帰途に就こうと御輦を召されました。するとサホコ邦の民は、ワカヒトに留まって欲しいと必死に懇願するのです。ワカヒトは民を憐れみ、しばらくそこに滞在してご親政を敷かれることとされました。


この状況は使者を立てて安国宮に告げられ、君のサホコ邦逗留が長期化することを知ったセオリツ姫は、万事をご自分の判断で采配されました。

まず日高見へ知らせを出し、トヨケ大神の本拠地でのお祀りを命じられ、次に急支度の行幸から本格的な行幸に体制を組み直すため、新たに北のツボネの三人を現地マナヰの原に行かせて、身の回りの世話を行わせることとされました。スケのモチコ、ウツキサキのハヤコ、オシモメのアヂコの三人は早々に出立し、宮仕えに加わりました。


ワカヒトはミヤヅの宮を行幸の拠点としてチタル邦までおでましになられ、行政の建て直しを計って軌道に乗せた後、サホコ・チタル両邦を併合させてその人事刷新を行われました。

ヤソキネ(トヨケ大神の長子)の弟であるカンサヒを新たにマスヒトとして登用し、その補佐役にカンサヒの弟ツハモノヌシとチタルのマスヒトから降格させたコクミの二人を当てたのです。


こうしてサホコ・チタル両邦の改革を終えられたワカヒトは、安国宮に戻られることになりましたが、拠点を残す目的でツボネをミヤヅの宮に止め、前年からワカヒトの補佐として近侍している弟のソサノヲと重臣のアマノミチを伴って出立されました。それはネナトの年の三月中旬で、一ヶ月後の四月中旬に安国宮にお着きになりました。







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