御機の四 日の神の瑞御名のアヤ⑤

                  めすてくるまお
ひたかみゑ みゆきのきみは
やふさこし おちつもはへる
けたこしも みなけたつほの
やまてみや みこのひかりの
てりとほり やもにこかねの
はなさけは ひのわかみやの
わかひとと とよけいみなお
たてまつる ふたかみおそれ
わがみやに むべそたてじと
あめにあげ おきつのみやに
かえります あめみこまなぶ
あねのみち ひとりはんへる
ふりまろは むよやそきねの
よつぎこぞ たかみむすびの
ゐつよぎみ ひことにのほる
あまつみや わかひとふかく
みちおぼす あるひのとひに
まことなお ゐみなとたたゑ
あねにみつ われはよつなり
これいかん たまきねいわく
ゐみなには たらによつぎに
なとのりと あわせよつなり
あまつきみ ひよりとまてお
つくすゆゑ ひとにのります
きねとひこ うしものりなり
めはのらず ふつをやふたつ
をにうけて こおうむゆゑに
なにこひめ またこなにひめ
なにおとも おなにともつく
めのなみつ をのなのりよつ
たたゑなは いくらもつけよ
ゐみなとは しむにとほれは
まことなるかな

善は急げとトヨケ大神の同意を取り、テクルマを召して日高見へ向かいました。既に即位して君となっていた皇子は八房の輿に乗り、身の回りの世話をする近習を侍り、「と矛」を納めたケタコシ(からびつ)も加えて進んでいきました。

トヨケ大神が待つケタツボ(宮城県多賀城市付近)のヤマテ宮に一行が到着すると皇子は光輝く様に神々しく見え、辺り一面も黄金の花が咲いた様な景観に包まれました。アメノミヲヤカミが歓迎しているのでしょう。

このありさまにトヨケ大神は「日の若宮のワカヒト」と皇子に齋名を奉りました。両神は我が子ながら畏敬の念を禁じ得ず、「私達の宮に置いてもこれ以上教育することはできません」と言って後事をトヨケ大神に委ねオキツの宮(大津市付近)に帰って行きました。

こうしてワカヒトはトヨケ大神の元で「アメノミチ(天道)」を学んだのですが、ご学友が唯一人付き添いました。
それはフリマロ(後のアチヒコ・オモイカネ)といい、六代目タカミムスビのヤソキネの嫡子、トヨケ大神の孫にあたります。

トヨケ大神は使命を全うしようと毎日天つ宮に昇り、ワカヒトの勉学を導きました。ワカヒトも天道の奥義を極めたいと心底思い勉学に励みました。

ある日のこと、ワカヒトはトヨケ大神に質問しました。

「マコトナ(真名)」を称えて斎名(ヰミナ)と言いますが、姉の斎名がヒルコ(ワカ姫)で三音なのに、私の斎名がワカヒトと四音なのは何か理由があるのでしょうか?

これに対しトヨケ大神は答えました。
斎名をつける時に考える事は男性では四つあります。先ずは親とのつながり、それから世継ぎであるかないか、そして良い意味を持つ名前である事、最後にその人が持って生まれた社会的使命である法(ノリ)です。
この四つを合わせて斎名をつけるのです。ワカヒトは天つ君の立場ですから、人民のために「ヒ(一)」から「ト(十)」までを尽くすという使命を持っているので「ヒト」とつけられたのです。同様に「キネ」・「ヒコ」・「ウシ」なども法を表しており特別な社会的使命を担った斎名なのです。

女性の場合は法を考えず、ふた親とのつながりを考えて良い二音を選び、その前か後に「コ」か「オ」をつけるのです。それは男性と出会って子を産むからなのです。
だから女性の斎名は三音で、男性は法の分だけ多く四音になります。

斎名のつけ方はこの様に決まりがあるのですが、称え名はいくら長い名前をつけても、たくさんの名を持っても構いません。
斎名とは、当人の心根に染み透って、その人の真価を発揮させる力を持つものです。言い換えると、その人の人格を決定する四つの言霊なのです。

後にワカ姫の夫になるアカヒコとワカヒトの出会いと斎名の説明がありました。「ヒト」を一から十とし全てを表す意味を読むと重みを感じますね。

ここまで4章終わりました。
切りがいいので、5章にいく前に今までのおさらいを含め古事記や日本書紀と比べて検証したいと思います。

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