御機の三 一姫三男生む殿のアヤ④

ふたかみは つくしにゆきて
うむみこお つきよみのかみ
ひにつげと あめにあげます
これのさき をゑくまにすつ
ひるこひめ いまいつくしに
たりいたり あめのいろとと
わかひるめ すさくににうむ
すさのをは つねにおだけび
なきいざち くにたみくじく
いさなみは よのくまなすも
わがをゑと たみのをゑくま
みにうけて まもらんための
くまのみや かくみこことお
つくしうむ ひひめみをかみ
うみてよの ぎみとみのみち
とのをしゑ さかりもとらは
ほころばす このふたはしら
うむとのは あまのはらみと
つくばやま あはちつきすみ
くまのなりけり

両神はその後も全国を巡幸され、ツクシ(筑紫/九州地方)で生まれた御子「モチキネ」を日の神に続く貴い神になれと願いを込めて「ツキヨミ(月読)の神」と称え名を捧げ、この皇子も天に上げました。
ツキヨミが生まれる前のこと、先に汚穢隈を回避するため捨てた「ワカ姫」も既に天の節の厄払いが成ったので、ワカヒトの妹という順列で復籍させ、両親の元で暮らす事になりました。

その後ソサの国(紀伊半島)で末子ソサノヲが生まれますが、幼少の頃から我が強く、気に入らない事があるといつも駄々をこね、大声で叫び泣き喚く子でした。その性格は成長しても止まず、凶暴性を発揮して人々に危害を及ぼしました。
イサナミはソサノヲの行状が世の人々に災厄をもたらすのは、自分の身に宿った汚れがソサノヲに宿ったせいだと思い詰め、「クマノ宮(熊野宮)」にお住まいになってソサノヲの悪行の償いに努める生活をされました。

この様にそれぞれ御心を尽くして一人の姫と三人の皇子を産み、世の秩序を正してクニトコタチがつくった偉大なる「トの教ゑ」を広め、秩序を乱そうとするものには「ホコ(矛)」を持って打ち破り、両神は日本の国家秩序を築きあげました。

ですから、二柱の神が皇子達をお産みになった宮殿は、ワカヒトを生んだ「天のハラミの宮」、ワカ姫を生んだ「筑波のイサ宮」、ヒヨルコを早産された「淡路の宮」、ツキヨミを生んだ「ツキスミの宮」、ソサノヲを生んだ「クマノ宮」と合わせて五つの殿ということになります。

アマテル大御神、ヒヨルコの早産、ツキヨミ、ソサノヲ、そしてワカ姫の復籍があり全部で五人の皇子となる事が説明されました。古事記と日本書紀を読み比べた時にこの皇子の生まれる順番の違いが疑問に残っていましたが、ホツマツタヱの記述がものの見事にこの疑問を解決してくれました。この記述が正しいものかわかりませんが、かなり説得力あるなと思います。

ただどれを読んでもツキヨミの記述の少なさが気になります。ツキヨミについて考察している書籍もあるようなのでいずれ読んでみようと思います。

次のアヤはアマテル大御神出生の詳細が書いてあるので引き続き進めたいと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000