やわしてあわお
ゑなとして やまとあきつす
あはちしま いよあなふたな
おきみつこ つくしきひのこ
さどうしま うみてうみかは
やまのさち きをやくくのち
かやのひめ のつちもなりて
あわうたに をさむはらみの
みやにゐて すてにやしまの
くにうみて いかんそきみお
うまんとて ひのかみおうむ
そのみなお うほひるぎとぞ
たたえます くにうるはしく
てりとほる くしひるのこは
ととめずと あめにおくりて
あめのぎと みはしらのみち
たてまつる かれにはらみお
おおひやま とよけかがゑて
わかひとと いみなおささく
こうして両神は国家秩序も男女関係も全てが、天地自然の法則に支配されている事を知り、新しい国造りに励む事となりました。
先ずはヤマトアキツス(大和秋津洲・本州)、淡路島、伊予阿波「フタナ(二名・四国)、隠岐三つ子(隠岐諸島)、筑紫(九州)、吉備の子(瀬戸内の島々)、佐渡、ウシマ(大島・北海道?)まで、その足跡は日本全国に及びました。
乱れて争いが絶えなかった地方にも、漁業権、入会権、農地権や水利権など秩序作りを進めたので人々は自然の恵みを平等に享受できるようになり、労働意欲も高まって産業も大いに振興しました。
両神の政策は天地自然の摂理にかなうものだったので、国民の信頼を得て、新しい統治国家は出来上がり、両神は、「アワ歌」を中心に据えた教育を重点政策として「ハラミの宮」(富士山山麓)に落ち着く事になりました。
国造りを終えた両神は、次にこの国の平和を恒久的に維持するため優れた「日嗣の君」をもうけるため一心に祈りました。そして生まれた皇子こそ「ウヒルギ」と名付けられ大成し「アマテル大御神」と称えられる君、その方です。
両神は甘やかして育ててはいけないと思い「天」(トヨケ大神のお膝元)に送って「君」に相応しい教育と「御柱の道」(アメナルミチ)の伝授を託されました。
日の神がお生まれになったので、ハラミ山を「オオヒヤマ・大日山」と呼ぶようになり、トヨケ大神はこの皇子に「ワカヒト」と斎名を捧げました。
両神がアマテル大御神を生む前に柱を巡った歌は「天(ア)のアワ歌」と言われ、第一アヤのワカ姫のくだりで出てきた歌を「地(ワ)のアワ歌」と呼ぶそうです。歌にも天と地の二極が存在するんですね。
男性であるアマテル大御神の本名は現代にも続く天皇の名前と同じく「ヒト」が付く「ワカヒト」であると記述されています。
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