もろかみの たかまにまつり
はかるのち つはものぬしが
ふたかみの ひひめみをうむ
とのゐつつ とえはかなさき
ことふるに むかしふたかみ
つくばにて みめぐりとえは
めかみには なりなりたらぬ
めもとあり をかみのなりて
あまるもの あわせてみこお
うまんとて みとのまくはひ
なしておこ はらみてうめる
なはひるこ しかれとちちは
すずよそほ はははみそひほ
あめのふし やとれはあたる
ちちのをゑ をのこはははの
くまとなる みとせいつくに
たらざれど いわくすふねに
のせつする をきなひろたと
にしとのに ひたせはのちに
ふたはしら うきはしにゑる
おのころの やひろのとのに
たちはしら めぐりうまんと
高間殿での会議が終わった後、ツワモノヌシ(兵主神)が諸神に問いました。
「両神の御子は一人の姫と三人の皇子と聞いていますが、御子を設けられた宮殿が五つあるのは何故ですか?」
問いに対してカナサキが答えました。
昔、両神はツクバで新婚生活を始めました。女神の足らないところと男神の余るところを合わせて「ミトノマグハヒ」をしました。そして最初に生まれたのがヒルコ姫(ワカ姫)です。
しかしその時、父は四十歳、母は三十一歳で共に「天の節」が宿る年回りでした。「天の節」に宿る子は、女の子であれば父の汚穢を受け、男の子なら母の熊手と成すと信じられています。
ワカ姫の身に何か悪いことが起きるのではと心配した両神は三歳に満たないワカ姫を「捨て子は育つ」という言い伝えに従ってイワクス舟に乗せて捨てました。それを兼ねてから相談を受けていたこの爺(カナサキ)が拾い育てたのです。
その後両神は、新国家の建設と日嗣の皇子を妊ける責務を果たそうとオノコロの八尋の殿に建てた柱を「天の御柱」に見立て回りを巡って祈念したのです。
ついに具体的にヒルコの名前が出てきました。古事記では水蛭子の字が当てられていますが、敢えて漢字を当てるなら昼子なのかな。
日本書紀では蛭子と大日孁貴(オオヒルメ・アマテラス)の二神をヒルコとヒルメとして同じ太陽の神と捉えている印象がありますが、ホツマツタヱの男女が混同し、入れ替わってしまったのかなと推測できました。
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