御機の二 天七代床神酒のアヤ③

                  たぐひなるより
としかぞえ ゐをつきあまの
まさかきや ゐつよのかみは
おおとのち おおとまえなり
つのぐゐは おおとのにゐて
いくくいお とまえにあひみ
つまとなす かれをはとのぞ
めはまえと やおつつきまで


むよのつき おもたるのかみ
かしこねと やもおめくりて
たみおたす をうみあつみの
なかはしら ひかしはやまと
ひたかみも にしはつきすみ
あしはらも みなみあわそさ
きたはねの やまとほそほこ
ちたるくに およべとをよほ
つぎこなく みちおとろひて
わいためな ときにあめより


ふたかみに つぼはあしはら
ちゐをあき いましもちひて
しらせとて ととほこたまふ
ふたかみは うきはしのゑに
さぐりうる ほこのしつくの
おのころに みやとのつくり
おおやまと よろものうみて
ひとくさの みけもこかひも
みちなして わいためさたむ
いさおしや 

年月が経過し、マサカキの植え継ぎがさらに五百回に達した頃、天神五代目を継いだのは、オオトノチ・オオトマエの夫婦神です。
ウビチニ・スビチニの嫡子であるツノグヰは『大殿』で政を助けていました。政務を終えて表に出て来たところ戸の前でイククイという女性に出会い、心奪われ妻にしました。
それなのでこの夫婦神をオオトノチ(大苫辺尊)・オオトマエ(大戸之前尊)と申し上げたのです。この時から男神を『殿」、女神を『前』と呼ぶようになりました。

六代目を継いだのはオモタル(面足尊)で、妻のカシコネ(惶尊)と共に全国を巡り統治を進めました。
近江のアツミ(安曇/滋賀県高島市安曇川町)を本拠地として東はハラミ山(富士山)の麓から日高見と呼ばれる東北地方全域まで、西は月隅と呼ばれる九州南部から葦原と呼ばれる近畿地方まで、南は阿波と呼ばれる四国東部からソサと呼ばれる紀伊半島、北はネ州の内、シラヤマト(白山の麓)からホソホコ(近畿地方の日本海側)・チタル(山陰地方)まで、広大な地域を収めていましたが、不運にも子宝に恵まれませんでした。その上、寒冷化により農産物の減産も重なって民衆は不安を募らせ、統治に従わなくなってきました。

オモタル・カシコネの後見人だった第五代タカミムスビのタマキネはこの国家危機に対処を行いました。クニサツチの時代から採られていた合議制に基づき、全会一致で一組の夫婦を世継ぎとして選出したのです。

その夫婦神がイサナギ・イサナミで乱れた人心と食料事情を立て直す使命担いました。議会は両神に葦原(山陽近畿地方)で成功している稲作技術を全国に普及させ、米を主食とする食料計画の推進を求め『トと矛』を授けました。

両神は議会の強力な援護のもと、国家再建に動き出し稲作の普及、法整備、各種産業の振興を行い国家社会に安定をもたらしました。




第五代オオトノチ・オオトマエ〜第七代イサナギ・イサナミまでのストーリーです。
六代目のオモタル・カシコネの代で一度国が乱れたとありますが決してこの両神が悪いわけではないのにかわいそうですね。

一番目を引いたのは、古事記・日本書紀では一切触れられていない富士山(ハラミ山)の名が出てきた事。常識から考えて神山信仰の強かった古代に富士山が信仰されてないわけがないのでかなり疑問に思ってました。
古事記・日本書紀(記紀)になぜその名が出てこないのか。何か意図的に消された理由があるような気がします。

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