御機の初 東西の名と穂虫去るアヤ④

きしゐくに あひのまゑみや
たまつみや つくれはやすむ
あひみやお くにかけとなす
わかひめの こころおととむ
たまつみや かれたるいねの
わかかえる わかのうたより
わかのくに

キシヰ邦には天日宮(アヒミヤ)という御用邸が置かれていましたが、その前に天日の前宮(アヒノマエミヤ・日前神宮を建造してセオリツ姫に奉りました。
また別にタマツ宮(玉津島神社)を新築してワカ姫にしばらくの間お住まい願いました。
天日宮はその後、御用邸としての用途が無くなったので、各邦に向かう伝令の中継地として使われます。その意味からクニカケ(国懸神宮)と呼ばれるようになりました。
タマツ宮は後の世まで枯れた稲を若返らせたワカ姫の事績を記憶に残し。邦の名も「キシヰ国」から「ワカの邦」に改めました。(現在の和歌山県)

                  たまつのをしか
あちひこお みればこがるる
わかひめの わかのうたよみ
うたみそめ おもいかねてぞ
すすむるお ついとりみれば

タマツ宮にお住まいのワカ姫の元へは、イサワの宮からたびたび勅使が遣わされました。
その勅使であるアチヒコにワカ姫が一目惚れし、その想いを伝えるためにワカの歌を読んでウタミ(短冊)にしたため、思い切ってアチヒコに手渡しました。

きしゐこそ つまおみきわに
ことのねの とこにわきみお
まつぞこいしき

キシヰ去年(こぞ) 
夫(つま)を身際に
琴の音の
床に吾君を
待つぞ恋しき

(訳)去年このキシヰ邦で初めて貴方様にお会いした途端に、琴の音の様に胸は高鳴り、床に着いても眠れず、いとしい貴方様をお待ちしている。

おもえらく はしかけなくて
むすぶやわ これかえさんと
かえらねば ことのはなくて
まちたまえ のちかえさんと
もちかえり たかまにいたり
もろにとふ かなざきいわく
このうたは かえことならぬ
まはりうた われもみゆきの
ふねにあり かぜはけしくて
なみたつお うちかえさじと
まわりうたよむ

アチヒコは願ってもない素晴らしい女性だと思いながらも、どう返事を返すべきか考えても返す言葉が見つからず、後で返すから返事を待ってほしいと言いウタミを持ち帰りました。

イサワの宮に帰ってアチヒコはタカマ(高間殿)の御前会議の場で面々に相談しました。最長老でワカ姫の養父でもあるカナサキがウタミを見て言いました。

「この歌は、上から読んでも下から読んでも同じ回り歌です。回り歌には、言葉を返す事も変える事も封じて、詠み手の願いを叶える呪力があります。私も以前、行幸の随行で舟に乗っていた時、風が激しく波が荒くなって危険が迫ったのをなんとか打開したく、回り歌を詠みました。」

なかきよの とおのねふりの
みなめさめ なみのりふねの
おとのよきかな

長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め
波乗り舟の 音の良きかな

とうたえば かぜやみふねは
こころよく あわにつくなり
わかひめの うたもみやびお
かえさじと もうせはきみの
みことのり かなさきがふね
のりうけて めをとなるなり
やすかわの したてるひめと

「と歌ったところ、風は止み舟は快適に進んでアワ(阿波/四国)に着くことができました。
ワカ姫の歌にもアチヒコの心を捕らえて逸らす事が出来ない呪力が込められているのです。」

カナサキの説明を聞いてアマテル大御神は勅を発せられました。
「カナサキの助け舟に乗り受けて夫婦になったら良いではないか」
こうしてアチヒコとワカ姫は結婚し、ヤスカワ(野州川/滋賀県野州町付近)に新居を構えました。
ワカ姫は「シタテルヒメ」の称え名を賜わり、アチヒコは「オモイカネ(思兼神)という神名で呼ばれるようになったのです。

和歌山の由来、回り歌と色々面白い記述がありました。
上から読んでも下から読んでも同じになる意味を持った和歌を作れるのは相当頭が良かったのでしょうね。
カナサキの説明に対するアマテル大御神の「助け舟」という言葉も素晴らしいと思います。

アチヒコとはワカ姫の母であるイサナミの兄カンミムスビ(神皇産霊)・ヤソキネの長男に当たるので、アチヒコとワカ姫は従兄弟の関係で結婚した事になりますね。

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