御機の五 和歌の枕詞のアヤ④

                  くやみてかえる
もとつみや いなしこめきお
そそがんと おとなしかわに
みそきして やそまかつひの
かみうみて まがりなおさん
かんなおひ おおなおひかみ
うみてみお いさきよきして
のちいたる つくしあわきの
みそきには なかかわにうむ
そこつつを つきなかつつを
うわつつを これかなさきに
まつらしむ またあつかわに
そことなか かみわだつみの
みかみうむ これむなかたに
まつらしむ またしがうみに
しまつひこ つぎおきつひこ
しがのかみ これはあつみに
まつらしむ のちあわみやに
みことのり

死後の世界を見たイサナギはショックを受けて打ち萎れて本つ宮(熊野本宮)に帰ってきました。
この汚れを濯いで立ち直らなければならないと、本つ宮の脇に流れる音無川で来る日も来る日も禊を繰り返し、身の内から「ヤソマカツヒの神」(八十禍津日神)を引き出しました。
それらは元々イサナギの身の内にいて、健全な精神と健康を支えてくれた善神でしたが、不浄の体験により捻じ曲がってしまった神でした。

イサナギはこの捻じ曲がりを直して身の内に戻しました。曲がりが直った神を「カンナオヒ神」(神直日神)と呼びます。

こうして失意のどん底から立ち直ったイサナギは、改めて大御心に目覚め、これまでイサナミと共に国の骨格を整えて産業の振興や文教政策を行い国の安定を計って来た自分の心に大御心が不足していた事を悟りました。

その後イサナギは単身巡行し、ツクシ(筑紫)のアワキ宮に滞在しナカ川(現新別府川もしくはその支流)で行なった禊でソコツツヲ・ナカツツヲ・ウワツツヲの三神を生み出されました。

ツツヲという神は、ツツガ(災禍、牢)を祓うためにツツシム(斎戒する)事を意味し、イサナギ自身の体験に基づいて生み出された神と思われます。この三神はカナサキに祭祀をお命じになりました。

また、北九州のアツ川(現在の釣川と思われる)での禊で底・中・上のワダツミ三神を生み出され、ムナカタ(宗像神社ご祭神)に祭祀を命じられました。

そしてシガ海(玄界灘)で行なった海水の禊からシマツヒコ・オキツヒコ・シガ三神の祭祀をアツミ(福岡市志賀島志賀海神社ご祭神)にお命じになりました。この三神は船を発明した神として古来崇敬されてきた神々です。

この辺りも古事記と共通の記載でした。大変な出来事の後に立ち直ったイサナギの精神力は、さすが国を束ねる指導者だけありますね。

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