かくましわりて
はらめとも とつきにうまず
としつきお ふれともやはり
やめるかと こころいためて
こそむつき ややそなわりて
あれませる あまてるかみぞ
ふそひすず ももふそゐゑた
としつきゑ はつひほのほの
いつるとき ともにあれます
みかたちの まとかのたまご
いぶかしや うをやをきなの
やまずみが ことほぎうたふ
むへなるや ゆきのよろしも
みよつきも よよのさいわい
ひらけりと おほよすがらに
ことぶくも みたびにおよふ
ゆきよろし ひとのとわしの
こたゑにも とよけのかみの
をしゑあり さわるいそらの
みそぎにて ゑなのかこみは
おのころの たまことならは
ゆきよろし たまのいわとお
ひらけとて いちゐのはなの
さくもちて いまこそひらく
あまのとや いつるわかひの
かかやきて しらやまひめは
うぶゆなす あかひこくわに
ひくいとを なつめがをりて
うぶきぬの みはたてまつる
たらちめの つかれにちしる
ほそけれは ほいゐのかみの
みつちひめ ちちたてまつり
ひたすれど ひとみおとぢて
つきひなや ややはつあきの
もちのひに ひらくひとみの
しほのめは たみのてふちの
よろこびに つかれもきゆる
みめぐみや あめにたなびく
しらくもの かかるやみねの
ふるあられ ひすみにこたま
このみづお ぬのもてつくる
やとよはた やすみにたてて
きみとなる くらゐのやまの
いちゐさく よにながらゑて
さくもつは かみのほずゑぞ
こうして両神は交わり懐妊したのですが、十カ月経って予定日を過ぎても生まれず、周囲の人も心配していました。けれども、九十六カ月経過して陣痛が始まり生まれたのがアマテル大御神です。ほのぼのとした初日に生まれたその姿は不思議な事に日輪と同じ球形の卵だったのです。
先々代オオヤマスミはこれを祝って歌いました。
肯なるや ユキのよろしも
御世継ぎも 代々の幸い 開けりと
徹夜での祝宴も三度に及び、皆で生誕を祝いましたが、人々は卵の形で生まれた現象を吉事なのか、凶事なのか、判断出来ず、トヨケ大神に問いました。これに対し「純粋無垢な胎児には、邪悪な念が悪さをしようとしますが、これを避けるため、私は八千回の禊をしました。卵の殻の様になったのは祟りを跳ね返す胞衣です。」と答えました。
さて、卵で生まれた皇子をどう出すか。切開手術はイチヰの木を薄く削ってサク(笏)で慎重に行われました。現れた皇子は光輝いて見えました。
イサナギの姉のシラヤマ姫は産湯を使わせ、アカヒコが養蚕した絹糸をナツメが織り産着布やおくるみとして奉りました。イサナミは疲れがひどく、乳の出が細かったので、宝飯の守の妻、ミツチ姫が代わって乳母になりました。
皇子は瞳を閉じたまま半年余り経ち、七月半ばにようやく瞳を開きました。
人々は手を叩いて喜び、心配も疲れも消え去りました。
この開眼に瑞祥が現れました。天にかかる白雲がたなびき、ハラミ山の八つ峰に霰が降りました。アメノミヲヤカミが皇子の誕生を祝い日の御霊が宿るニゴタマを霞として降らせたのだと人々は思い、この瑞祥にちなみ白布で「ヤトヨ(八豊)幡」を作り皇子の部屋の八隅に立て、遇されました。
そして、この時使った笏はアマテル大御神の象徴となり、その後のアマテル大御神を敬慕するものは笏を持つ様になりました。
長い間母の胎内にいた事や、卵で生まれたなど、信じがたいファンタジーの様な記述が多い部分ですが、そのくらい他の神とは違う特別な皇子という事が言いたいのだと思います。
最近忙しく、更新ペースが遅くなってますが、ゆっくりながら進めていきますので、お付き合いください。
0コメント